坂道を歩いていると公園があった。木々が鬱蒼と茂っていて、正直に言ってあまり整備されているとは言い難い公園だった。
ふと強い風が吹いて目を伏せると、ジジッと言う音がした。見上げると小さな影が飛び回っていた。
蝉だった。
へー、もう蝉が出ているのか。
そう思った瞬間、公園から喧しい蝉の鳴き声が聞こえてくることに気がついた。大合唱というにはまだ足りない。しかし、決して聞き逃すことのない騒がしさ。
それに、その時、初めて気がついた。その瞬間まで蟬が鳴いていることにまったく意識にのぼりさえしていなかった。
一度認識してみると、なんで今まで気がつかなかったのか自分でも不思議なくらい、蝉の声は公園だけでなく様々なところにあった。
街路樹にしがみついているもの。標識に捕まろうして果たせず何度もぶつかってカツンカツンと音を立てているもの。己の生存を騒がしく主張していた。
ふと、京極夏彦の「姑獲鳥の夏」を思い出した。あれは人間のもつ認識の話だったと記憶している。
認識することがなければいないのと同じ。自分はこの時初めて今年の蝉を認識したのだった。
夏が来たのだ。
そう思った。
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